実技試験の話①
先日、今度の実技の試験が怖くて、、と言っている人の話を少し聞きました。
安易な言葉や、本音でない言葉では逆効果があったり傷付くことがある、とてもセンシティブなワードだわ、と歳柄にもなくザワザワしました。
その道を肌で知っている者として、うまく励ますことができたらよかったのになって、どうしたものかなとしばらく自分の中で考えていました。
私は音楽高校、大学は芸術大学だったので、実技試験というものを(日本では)7年経験させてもらいました。 その中で、一度たりとも満足して弾けなかった思い出があって。
私は、あの試験という独特の場が本当に大嫌いで、元々大の緊張しぃだったタイプに加わり、その怖いなという渦に飲み込まれる始末、正直恐怖でした。
今思えば、当時の7年、毎度毎度失敗をして、実技試験という環境があったから、私は念には念をというくらいの練習を結局7年に渡り積むことになり、その入念な準備が結局音楽を更に好きになるきっかけになったし、成長せざるを得なかった環境は、ありがたかったのかもと思えています。
そして、その時感じた窮屈さや大きな悔いは、その後自分をドイツへ向けて飛び立たせる原動力や自分の音楽に対しての執着や強固な愛情(それだけ時間を費やしたのだから仕方ない)にもなりました。 鶏が先か、卵が先かっていう話なんだけど、練習が愛情になったのか、好きだから練習していたのか、私の場合は正直そのどちらも、あったと思います。
日本の独特のその試験の雰囲気は、ドイツの試験や本番にはないものでした。とにかくどこでも伸び伸び弾いているクラスメイトを見て心底うらやましく思いました。
ドイツでの生活の中では本番のみならず、生活面でも大きな変化がありました。歩くテンポもゆっくりになり、日曜は何もしない、「隙間」の時間にはとにかく何もしない、当時の私には考えられない時間と空間の概念をもらい、やたらと伸び伸び弾く人たちと一緒に音楽の話や友達の話、環境の話などをして、それが長いリハビリ生活のようになりました。
それでも、やっぱり正直ずっと格闘していました。
あの試験やその時の恐怖が、音楽をしている時に、消えない。 自分が音楽を好きなのかどうか、何度も何度も考えました。
最近、やっと、少し、本番でも自分の音楽ができるようになってきたのかもしれないと思います。 緊張はするけれど。
これは日本と比較してドイツは良いという話ではなく…
私が個人的に思うことですが、実技試験が生み出す独特のその環境は、お国柄上(日本は島国であるということと、繊細な感性を持った人が多いということ)や歴史的な背景からくる日本人の性格(日本は長く鎖国をしていた)、日本人は真面目な人が多いというその気質上、どうしても生み出してしまう「緊張」なのかもしれない。
でも、結局その、日本独特だからこそ生み出すことのできる、例えば「極度の緊張感の中の静寂」とか、「圧倒的なテクニックmade in Japan」、「平均的レベルが安定するquality of Japan 」みたいなものは、やっぱり日本だからこそ生まれるものなんだと思います。
で、私はだからこそこの環境においてクラシック音楽に惹かれ、本場ヨーロッパにまで行って真の魅力にまで触ることができたんだと思う。
払拭したいくらい嫌な思い出となっている試験だけど、私は私で結局はその環境に、身をおかなければ行けなかったのだろうと割り切っています。
今、これらのこと、そう思えるのは、いろんなことを経験させてもらい、いろんな人に出会えたお陰です。
そんな深すぎる思い出と自分の生きる道ともなった「実技試験」っていうワード。 軽く大丈夫だよ、気楽に出来たらいいね、とは言えなかった訳だ。納得。
わかるよ、わかるよ。その気持ち。その心。
みんな頑張ってるよね。
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