ややこしいウサギと亀の話

皆さん、自分のことをどの様に理解していますか?

理想の姿と現実の姿。その間で悩むことってありませんか?

ウサギと亀の話ありますよね。亀はゆっくりでも一歩一歩進む。そうすると寝たり休んだりしているウサギに勝つというお話。

一つの小節に数時間かけても、結局満足しなかったり。山を登りなど、一歩一歩足を前に出してはいるものの、見えないゴールに向かって進みながらいつも思うのが、この兎と亀のお話。

このウサギと亀のお話に自分の姿を投影してみる。。私はそれをよくやります。

ウサギか亀か

私はいろんな観点から見ると完全に亀だと思います。

でも、自分の中にウサギの様な怠け者の姿もあるし、ある側面においては要領がいいこともあります。ずる賢いこともあります。

私という「亀」はこのウサギと亀の話を知っています。自分は亀だと自覚はあるけれど、現実世界ではウサギに勝つとは思っていません。ウサギに敵わないことがあることも知っています。

ウサギになりたくても、なれないことも知っています。

そうとは知りながら、どうして自分は一つ一つしないとダメなんだろうって、正直たまにウサギに対して羨ましい気持ちや、恨む様な気持ちが出ることもあります。

そして結局、「仕方ないよな。亀でいることが故に良いこともあったんだから」と自分に言い聞かせて、結局それで亀でいることに満足している気がします。

実際とっても素敵な出会いがあって、今小さいなことも幸せと感じるのだから、本当にそれで満足。

でもでも、世の中には。音楽の世界にも。ウサギのみならず、鷲の様な人がいる。

私が思う鷲は、物事を冷静に客観的に捉えられて、自分が今何をするべきかわかっている人・・それをすぐに正しく判断できる人。(それが自分の届かない理想なのだと思います)

とてつもない才能を見ると、鷲だわ〜かっこいいわ〜と。どこからどう見ても、自分はそうはなれないその姿に、感服の気持ちに。

鷲はどんな世界なんでしょうね・・

自分の憧れの姿を投影した様な鷲に、亀である私が上から見られてることがあるのですが、それはそれは緊張します。鷲は亀やウサギを見て本当のところどう思ってるんだろう、と要らぬことを思うこともあります。

そして、またこれが、何よりややこしいのですが、自分が鷲の様になって上から自分という亀を見ていることがあります。

ただ、それは自分の分身であるので・・憧れの鷲とは違うか。カラスくらいでしょうか笑😂 そのカラスの様なものがたま〜に上から亀を見てくれる時がある。

はたと気づくとそのカラスが亀の上にいるのですが、いつもいつもいるわけではなく、たまにしか上から亀を見ることができません。

今のところの結論

亀であることは満足です。十分。

プラス、願わくば…上から全てを見てくれているカラスの様な、別の目をずっと持ちながら、でも、脇目も振らず情熱は忘れずにいたい。

矛盾である様ですが、音楽やる時にも、人としてどう生きて行きたいのかなって考えた時、そういう気持ちが芽生えています。

ウサギと鷲が助けてくれる

心配しなくても、亀であっても、鷲やウサギは私を助けてくれることが多々あります。人は一人で生きていないなぁってよく思います。

沢山の違う景色を見せてくれるのは、いつも外の世界。

同じ亀であっても、色んな亀がうろちょろしているので、それはそれで外界からの刺激です。

結局音楽界には種々様々な趣向の違う動物のことを理解しないといけません。

一般のこの世界でも全く同じこと。

皆さんは、どんな風に自分のことを見ているのでしょうか。

ちなみにこれ、インターネットで調べると出てきて初めて知ったのですが、各国によって教訓が違う様です。▶︎各国の教訓『兎と亀』 

興味深いですね。

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